最近(2003年秋)、アクセスカウンターがGI前日あたりから150~300/1日のペースで回転していて、私の公開予想を見てくれる方が徐々に増えてきたように感じます。それなりに力を入れて取り組んでいるので、とてもやりがいを感じます。

 でも、客観的に自分の予想を他人の予想として見た場合、これは見たい予想になっているのだろうか? と、ふと考えます。他人の予想を私はほとんど信用していません。競馬新聞の記者、トラックマンのいわばプロの方の予想ですら、人気がどんな感じになるかなって思って見るだけで、新聞を買うのは馬柱目当て。

 多くの競馬サイトの予想も興味本位で、あの人はどの馬に本命打ったかな~とか、当たってるのかなってチェックしているだけ。大手や有名な予想サイトも、チェックすればするほどほとんど当たってないことがわかるし、予想において参考になるものが少ないんです。それは私の予想スタイル(データ予想)とズレているからではないです。一方、数は少ないですけど、スタイルは違っても、参考にできることが多くある予想はあります。この違いは何だろう?

~意味のある公開予想~

 ◎○▲△等の印と馬の名前だけ割り振っている予想を見かけます。でもこの場合、本命の◎は連軸の意味なのか、押し出されて仕方なく打ったのかなど、印がどのような役割で使われているのか、見ている側にはわかりません。どんな考え方でその印配分になったのか、その過程がわかりません。

 さらに、どう買うのかが書かれていない予想だと、後で見たときに評価もできません。「○▲で的中なのか」「的中って言っても取り紙じゃん」「配分なんて書いてなかったのに」「えっ?ワイドで的中になってるぞ」とかあとで驚かされるやつです。印を打つのは簡単ですが、それを馬券につなげるのはとても難しいことです。この過程を軽視している予想は公開する予想としては失格だと思います。

 ギャラリーは予想の過程と結果を見て予想の評価をします。評価を受けるには、予想の過程を詳細にすること、ある程度まで買い方を明確化することがどうしても必要です(ある程度というのは、予想をそのまま買わない場合(当日の馬場状態、馬の出来、体重等で強弱変更する場合)があるからです)。

 見ている人からすれば、予想の根拠が自分の考え方に合えば、参考にするかもしれないし、もし、結果が不的中でも、過程の読みと実際の展開に違いがあったことがわかれば、その人の予想を理解することができ、次のレースに活用できるかもしれません。役に立つかもと、また見に来ると思います。

 予想で商売をする方は思考過程を隠す必要があるでしょう。それならそれは、買い目を厳格に明確化すればいいんです。予想実績、回収率実績がわかりやすく表示されている有料予想は注目されます(的中実績のみ書いているのは駄目です。どれだけ予想を提供してこの実績、という風になっていないと的中以上の負けがありそうだと思います)。

 ただ、有料予想でお客さんを増やそうと思ったら、まず公開予想ありきであって、そこで卓越した競馬眼を披露することが一番です。予想を信頼してもらうには、どうしても予想過程の詳細をそれなりに明らかにしなければならないです。

 予想過程の詳細とある程度までの買い目が欠けている公開予想は客観的な評価ができないので意味はありません。自分の予想に自信があって注目してほしいと思うのであれば(だから書くんじゃないんでしょうか?)、できれば両方とも書いた予想を公開しましょう。結果や検討過程にいいものがあれば、見てくれる人は増えてくるはずだと思います。

~予想には壁がある~

 予想過程の詳細と明確な買い目の両方を明記した予想を公開したとしても、それが使える予想なのか、大したことない予想なのか、判断される土俵に上がっただけで、どちらに捉えられるかは次の問題です。

 多くは大したことない予想です。例えば、スポーツ新聞の見出し。日が変わるごとに異なる本命馬を推奨し、そのコラムではさもこれしか来ないような書きぶりをしている。で、翌週には結果(ほとんど外れ)を忘れ去って次のレースの予想をはじめる。その繰り返しです。信用しろっていうのも無茶な話ですよね。

 ここではわかりやすくマスコミそのものの予想を取り上げましたが、個人予想の多くもそのほとんどがマスコミが煽る「知識」をそのまま持ってきた予想をしています。もちろん、その知識の中には使えるものもありますが、知識を馬券につながるレベルにしないで(私の表現で言うと「ジンクスをデータ化しようとする努力」をしないで)、予想に使ってしまっています。

 大抵の馬にはマスコミの知識で分類できる良材料と悪材料があって、買いにも消しにもできます。例えば2003年天皇賞秋のシンボリクリスエス。この馬には「3歳で天皇賞秋と有馬記念を勝っている馬」「前年の年度代表馬」「鞍上ペリエ」などの良材料と、「1番人気」「8枠18番大外」「休み明け」「今年未勝利」「前走宝塚記念失速5着」「当日馬体重プラス10キロ」などの悪材料がありました。悪材料をともかく並べて書けば、もっともそうな理由で消しにできます。(この例はまだましかもしれません。2003年のマイルCSの予想では、「スタミナ豊富」という理由(?)でマイソールサウンドに本命を打った穴予想家を見かけました)

 良材料と悪材料を自分の恣意でどちらかを取りあげて印を打つやり方では、どんなに強い馬がいても悪材料で消せ、弱い馬でも良材料で買いに回ることができます。簡単に穴馬を推奨できます。さらに◎~△の順位がアバウトになりがちです。でも一応、公開予想としての過程(理由)を書くという点は満たしています。それでは、結果が不的中だったときの回顧をどう行なうのでしょうか。

 「やッぱりシンボリクリスエスは強かった」「さすがペリエだ」「割に合わないからしょうがない」

 多分、1番人気とか大外とか、そういうジンクスを振り返るよりこんな回顧をしているんだと思います。自分が屠った良材料のほうの知識で片付けてしまう。

 これまで1番人気馬は、ミスターシービー、ニッポーテイオー、テイエムオペラオーと3回優勝しています。大外枠の勝ちは過去2回あります。休み明けはタマモクロスとヤエノムテキ、ヤエノムテキは年内未勝利で、宝塚記念でも負けています。スペシャルウィークは馬体重マイナス16キロでした。これらで消しと言っているのはそもそも調べ不足なんです。

 まあ、こういう自分の恣意でコインの表も裏も取れる予想は回顧しにくいので、しっかり復習して今後のための糧にしようとしている人はほとんどいないと思います。今度は逆を取ればいいって思っても、その基準がないんだから…。

 当人ですら回顧しにくいこの予想、ギャラリーはもっとわけがわからないのは当然です。冷静に考えれば、当たっていてもラッキーなだけなんですよね。今後の糧にならないので、見てもしょうがない、大したことのない予想です。

 ここに予想の壁があります。

 では、今後の糧になる、使える素敵な予想ってどんな予想なんでしょうか。マスコミの予想の仕方が主流なので、壁を超えた予想ってもの自体、何がなにやらわからない方もいるかもしれません。でも、見えてきましたよこの壁が。

~予想の地軸~

 壁について私が思うのは予想に地軸があるか(地に付いているか)どうか。いい予想をしている人は、ひとつ軸を持っています。

 例えば「出走メンバーの力関係を把握している」これはひとつの軸です。この馬はあの馬より絶対強い、この馬はこの相手なら確勝、などと断言できる。ある人は、何らかの指数でこれを把握してますし、そういう指標に頼らないで把握している人もいます。データ派としては「データで残ったorデータで同じレベル」というのもひとつの軸だと思ってます。自分が思える「ここまでは確実に自信のある見立て」と言ってもいいかも。

 軸があると、他のあらゆる情報(距離、コース、枠、調子、馬場状態など)から予想の修正をできますし、レース後に(展開、位置取り、コーナーワーク、通った馬場、出遅れなどの不利)からレースを見直せるんですね。

 例えば、絶対能力が高いと言った馬がもし負けてしまった場合でも、騎手の判断ミスで大外を回らされていたり、前が詰まる不利があったり、あるいは馬場差があったり、そういう要素から見直して理由付けることができます。内を回ってロスなく前が開いた馬より断然強い、と。見ているほうはそれが理に適っていれば納得します(理想では馬場差や外を回されるリスクも事前に考慮したいところです)。次走で勝って「ほら強かったでしょ」と言われれば頷くばかりです(もっとも、凡走が続けばギャラリーは去っていくでしょうが)。その連続が、読者を惹きつけます。予想の過程に目を瞠るものがあり続ければ、この人はいい競馬眼(自分の地軸)を持っていると評価されます。

 自分は2003年の宝塚記念で学びました。力ではシンボリクリスエスとタップダンスシチーで決まるはずでしたが、展開や馬場で結果は大きく変わってしまった。シンボリとタップはその次の秋初戦のレースで巻き返しました。あのレースを先行したバランスオブゲームは毎日王冠を勝ちました。

 展開と馬場差、この影響力をそのときほど感じたことはありません。でもそれを切実に感じ、理由は展開と馬場差だと言えるのは、宝塚記念のデータアートという確固たる地軸を持っていたからなのです。

 軸がないと馬場差や不利などのプラスマイナスが浮遊していて、予想している側も見ている側もわからないし、糧にならない。

 もちろん、軸を持つこと自体に競馬眼の訓練、予想技術の鍛錬が必要です。熟練者でないと、こういった歯切れの良く的を得た内容の予想はできないです。でもこの壁と軸を知っているのと知らないのとでは、将来的に予想の力に大きな差が出てくると思います。

 私も曖昧な知識で予想を行なってしまうことが多々あり、この壁を超えるにはまだまだ時間がかかりそうですが、この話に共感を覚えてくれる方は一緒に頑張りましょう。これまでに出会った予想家の中で一番この壁を超えていると思っているある方は、壁についてこんな話をしてくれました。


ただ、僕が正統派予想なのだとしても、またそうでなくても、
それは別にいいんです。血統派でもパドック派でもデータ派でも、
基本的には一緒だと思うんですよ。
壁を越えられているか、越えられていないのかだと思うんです。

つまりね…これはデータ派だってそうだと思うんです。
「○○というレースはよく荒れる。だから穴を狙おう」
…と、これは壁越えてない人だと思うんです。
これをもう一歩踏み込んで、
「じゃあ何故○○というレースは荒れるのか」
…と、そこまで考えられるかどうか。
つまり、抽出したデータをただ単に頭にインプットしているだけなのか、
その抽出したデータから、自分なりに何かを考えられたのか。
そこの差です。その壁です。むちゃくちゃ大きな差だと思われませんか?
荒れるのはレース時期が関係しているのかもしれない。
あるいは、コース体型が関係しているのかもしれない。
それを自分なりに考えて、その結果出たきたものを、
「自分なりのデータ」として頭にインプットしてる人。
どちらも同じデータ派だと思うんです。でも全然違うよね。
例えば時期が関係しているのならば、
出てきたそのデータは、単にそのレースのみではなく、
同じ時期にある他のレースには当てはめられないのか?
当てはめてみたら、ひょっとしたら同じ傾向が出るかもしれない。
そうなれば、それはまた「自分なりのデータ」として、
新しくインプットしていくことができるわけです。
そうやって集めたデータというのは、他の人は持っていない。
まさに自分だけのデータ…ですよね。
(中略)
これは僕がいつも思っていることなんですが、
「単なる知識を、いかにして馬券に繋がる知識のレベルにするか」
…もうこの答えそのものであるように思います。
血統派、データ派、パドック派、そして僕みたいなタイプ。
タイプこそ違えど、突き詰めると目指すものは一緒だと思う。
単なる知識から、馬券に繋がる知識へ…これに尽きます。
血統派でも勝ち組もいれば、負け組もいる。
データ派も勝ち組もいれば、負け組もいる。
パドック派でも勝ち組みもいれば、負け組もいる。
そして僕みたいなタイプでも、それは同じことです。
壁…これを越えられるかどうか、そこが分かれ目だと思う。
僕も壁を完全には越えきれていないです。
自分でも自覚しています。
壁を越えるにはどうすればいいのか。
そこに答えは一つしかないように思います。
自分で考える。これが全てでしょう。
与えられたものだけで終わらず、そこから自分で考える。
壁はやっぱり、自分の足で登らないと越えられない…そう思います。

 大切なのは自分自身で根気強く、自信を持てるレベルまで予想の過程となる根拠をとことん考えること、なんです。セナの名言を思い出しますね。

「レース前、本当に細かい事までチェックする。チェックして、チェックして、またチェックする。手を抜かずに全てをチェックしていく。たまにはウンザリとか、億劫になるときもある。しかし、そんな時は信念、自分の信念で手を抜こうとする気持ちをねじ伏せるんだ。それが僕の勇気でもあるんだ。」

~リングに上がるなら…~

 壁を超えた、いい予想をするための地軸を作るには何をすればいいか。さきほど、訓練とか鍛錬とか、自分自身でとことん考えることなどを書きましたが、大前提として、自分の予想に責任を持つ姿勢が必要だと思います。

 競馬予想の目標は馬券を的中させて儲けることです。みんなそれは同じはずです。でも、公開予想の中には、馬券予想になりきれていない所感を書いているものが多いです(特に掲示板に書き込まれるもの)。

 ある馬について、「この距離は長そうだ」「人気かぶりすぎ」とか書いて、レースが終わって「ほらみろやっぱりあの馬は云々」「ペースが遅かったね」とか回顧しているものがあります。本人は予想的中(惜しくも外した)と言わんばかりだったりしますが、それは予想ではないです。人気馬を消すことがうまくできているなら、どういう穴馬券になりそうなんですか?

 どういう結果になっても言い訳ができる範囲でしか書いていない所感は、評価されるリスクから逃げています。公開予想の舞台に出てきて予想をしないというのは、自分からリングに上がったのに逃げ回るボクサーみたいなもので格好悪いこと甚だしい。どちらにせよ、認められるまでには評価されるリスクと戦うんです。プライド持ちましょうよ。

 来ないと言った馬が来なくても、見立ての良し悪しと関連があるのかは微妙だと思います。手短な予想をするなら、数の多い来ない馬より、来る馬を予想しましょう。来る馬を予想するには、他に来そうな馬と比較考量するので、結果的に出走馬全体を考えなければなりません。その人の地軸が予想に表れてきます。

 また、自分が予想した馬券はできるだけ購入したほうがいい。買わない予想であれば、穴馬を簡単に推奨できます。でも、いざ自分で買うかとなると、買えない。私自身、2002年の予想では「穴の視点」という項目を作って推奨しましたが自分の馬券ではほとんど買いませんでした。

 自らが買う馬券を考えることにより、予想は現実味を帯びてきます。所感では注意とした馬の中からも消さないと儲からない。来る可能性がないわけではない、なんて曖昧にしていた馬にまで手が回らない。

 印についても。競馬新聞を真似て印を散らせば予想した気分になりますが、新聞の印は馬券として現実味がないです。彼らはド本命の1番人気馬に◎を打ちつつ、△を3,4つ打ちます。◎○で取り紙になるオッズの場合、どうするんでしょうか。実際に買う馬券は強弱をつけたり、△を切ったりしているはずです。新聞は人気の指標となる役割があり、印をまっさらにもできません。それは理解するもので真似するものじゃない。

 ちなみに、プロたちが予想家として意地を張ったのが、1992年天皇賞春でした。みんながメジロマックイーンとトウカイテイオーに◎○を打ち、▲△が6人で8つ(日刊競馬紙)。格好いいですね。外れてしまったこともあり、その後こんな印はありませんが、馬券につながる予想ってこういうものです。

 自分の予想を注目してもらうことは、継続的に見てもらうことです。自分をブランド化するくらいアピールしましょう。馬券との真剣勝負、最初からうまくいくわけはありません。実力が伴わないうちは公開しないで腕を磨くか、あえて激闘譜を見せつけていくか、どちらでもいいと思います。

 適当に回顧して所感が当たっていたと喜んでいるものより、予想が撃沈してどこがいけなかったのか悩み、できる限りの反省をしているサイトのほうがずっと将来性があります。ブックマークしちゃいそうですね。そういうサイトは当サイトでも掘り出し次第リンク張ろうと思います。

 さあ、心が決まれば、志を高く持ってリングへ上がりましょう。

~予想の壁を超える技術の模索~

 重宝される予想は、馬券や展開等の見立てについて的中させることのできる予言。未確定の未来を如何にして描くことができるか。予想家(予言者)として成功するには、客観的合理性を軽視するわけにはいかない。

 例えば、数多の予想スタイルの中で、サイン(タカモト)や出目、風水などの方法で成功することは極めて難しいです。馬券の的中しか予想の善し悪しの判断材料となるものがなく、客観的合理性を得るためには常に馬券の的中を求められるから。もちろん、別の意味で、予想のバリエーションとして(ある意味ガチガチの予想から解放される癒しを感じさせるものもある)面白がられるということもあり得ます。でも、その可能性は元々低く、馬券で儲けたいと思うなら、自分でも合理性の低く思われるこの手の方法の達人になってもしょうがないと思います。

 また、当日のパドック予想については、違う意味でギャラリーにとって使いにくいです。朝早くから競馬場に出かける人もいます。どこでも小型の携帯パソコンが開けてインターネットができるインフラはまだ発達していません。土曜夜には予想のUPがされる現在の予想家スタイルはそう変わらないと思われますし、予想家として求められるのは土曜の夜には結論(留保も含め)を出す能力でしょう。ただし、パドック眼については、自分の馬券の成功を高めるために鍛錬したほうがいいと思います。

 同様の意味で、オッズ予想も時間的制約に縛られます。私がこれまで競馬をやっていて得た感覚では、大事なのは当日の午前中のオッズの変動です。ここでオッズの下がった馬の好走が多いように思います。そして、これは当日の馬の状態がわかる、関係者側の人間の買いが入ったからと考えます。前日オッズや金曜の異常オッズは関係ありません。金曜の時点で大金を賭けるなんて無謀だと思いませんか? それは馬主などのただの金持ちの遊びです。ミラクルおじさんはたまたまと考えたほうがいい。日曜の午後からのオッズは人気馬に被っていくので、これもあてにはならない。こういう理由から、土曜の夜にオッズ予想をすることはできない、と思います。

 関係者の情報によって公開予想を行なうのは、その情報筋への背信行為であり、ありえない。普通のマスコミに出回る情報で予想を行なっても上級のものは望めないでしょう。マスコミに喋る関係者の談話なんて、特にGIだと期待しているとかに決まっています。情報は予想の調整部分までにしかなりません。

 以上の考えから、予想の壁を超えられる予想家のスタイルは限られてきます。残っているものの中から組み合わせて選ぶか、または自分で新たなジャンルを創作するのがいいでしょう(自作の概念であれば、その入り口となる部分の解説は詳細にしたほうが良いでしょう)。

 能力・馬場・展開・騎手・血統・馬体・実績・時計

 これらとデータは相反するものではありません。データは客観的合理性を高めるためにこれらの分析を数字にして表すものです。例えばデータアートは、ほとんど実績のデータで作成されています。他の観点は現状アナログ調整となっていますね。上の中の実績だけで、これだけの世界が創れるんですよ。

 客観的合理性を高めるデータはこれまで必須だと思ってきたのですが、最近出会ったサイトでこの考えは消え去りました。データがなくとも、それに代わる薀蓄があれば何ら問題ない。

~理想は、正統派予想~

 正統派と勝手に呼んでいるのは、データ収集などはせず、走破時計を数値化することもなく、ただレースを見て、多くの馬の能力把握を頭の中でしている方たちです。まぁ、大きくとれば普通の競馬ファンもそういう方が多いとは思いますが。

 例えば、実績データ予想家の私が「前走二桁着順の馬はこのレース来たことないから消し」と言って消す馬について、正統派は「ここでは○○がいるし相手が揃っている。力が足りないから消し」とします。一見すると、根拠がしっかりしているデータのほうが、説得力があるように思いますが、データはサンプルの採り方でどうにでもなるところがありますから、一概にはどちらがいい予想かは言えません。データだと、前走が重馬場や展開で負けた馬について、柔軟に考慮しにくくなります。もちろんそれを思い切って消せるのは利点でもありますが、勝負は結果を見てとなります。

 頭の中での能力把握によって予想通りに的中できるとなれば、最良の予想方法です。なぜかと言うと、紙面に書かれない不利を受けていた馬、外を回って着外に負けた馬など、人気しにくい馬を、メンバー構成を考慮し、無理しない範囲で狙えるようになります。オッズがつくから、競馬で勝てる可能性も増します。出走メンバーの能力の順列をつけられるというのは、前述した軸を作れるということです。これで、レース後に馬場や展開などを回顧できます。

 さらに、レースを見ることで、詳細な馬の特徴(この馬は出遅れやすい、引っかかりやすい、一瞬しか脚が使えない、砂をかぶると駄目等)を知ることができます。これは、枠順・展開による有利不利を考える土台になり、さらに精度の高い予想が可能になります。無駄なことはありません。レースは見るに越したことはない。私はデータを主軸に予想を行いますが、主要なレースはしっかり見ています。

 正統派の欠点は、軸を作れるようになるまで相当時間がかかること、週末の土日はほぼ競馬していなければならないこと、外に出せる形での根拠に欠けること、一度遠ざかると復帰しにくいこと、あたりが考えられます。さらに、毎週やってると思われる馬券オヤジたちがそうそう勝てていないことから、一線以上(壁を超える)となるとセンスが問われると思われます。時間に余裕がある方、ある程度以上競馬をわかっている玄人向けです。

 信頼できるのは自分の眼。純粋オリジナルによる予想です。格好いいですね。

 さて、一方のレースを見ない予想方法、うちも含め結構あります。異端です(笑)馬も知らず、レースも見ないで予想しようって言うんだからさ。うん、データアートを使えば、前5走だけの馬柱さえあれば未来の競馬の予想だって、根拠を出しながら行なうことができるんですよ。

 データ分析や指数・数値化は、個々の馬について調べるんじゃなくて、汎用性を持って使える因子を抽出して、そこを研究して予想します。そうすると、例えば過去10年のレースを予想するためには、正統派のやり方だと出走全馬150頭規模の前何走のレースを見なきゃいけないのが、これらの処理を行なえば簡略形で分析できます。

 予想を簡単にできるようにするんです。データ構築や、スピード指数の調整などは恐ろしく手間のかかるもののようですが、これら異端者たちは、将来の負担をできるだけ回避するために、今の手間をかけているんです。出走馬の馬柱さえあれば半自動的に精度の良い予想が出力される、夢のシステムを作ることはたまらない冒険でもあります。

 (見るべきところが)馬からシステムへ。だから異端なんですけど、時間がある方には、正統派予想家になることをおすすめします(私の理想はこっちです)。時間がない方は、素敵なシステムエンジニアになりましょう。私はレースをしっかり見るだけの時間と環境は持てない状況にいます。システムだって、研究を重ねればオリジナルなものができます。カラフルパネルデータなど、一部のデータアートは既に独自の領域に入ってきたと思っています。

~実績データによる壁への挑戦(経験者は語る)~

 ここからはデータアート(実績データ)でどのようなことを行い、壁に挑戦しているか(どのようにすべきか)を書いてみたい。もう一度まとめますが、壁を超えた予想というのは、出走馬を予想家が提示する何らかの軸から評価して、馬券につながる指針を示し、結果にも客観的合理性(的中するか、回顧した時に見立てが当たっている)があるものです。

 データを使用すると、回顧することは簡単です。雑誌・新聞に載っているデータなどを使用して、後でこのデータは正しかった、とか、このデータは邪魔だった、とかやればいいように思われそうです。でも、むやみやたらにデータを投入して網をかければいいというわけではありません。データを使用する者がまずはじめに慎重を期さねばならないのは「データの洗練」。これが肝です。私はここにも合理性を求めなければならないと思っています。

 例えば、データってのもいろいろあって、このレースは1番人気が堅いとか、ありますよね。朝日杯とか。有馬記念では、4番人気の単回収率が非常に高い。13番人気が穴だとかも言われます。じゃあ4番人気の単勝、13番人気とのワイドは買いなのか? こういったもの、私はジンクスって言って退けますが、合理性がないと思いませんか?

 過去に前走4着以下の馬が来たことがなかったレースで「前走4着以下は消し」という消去データを作っていたとして、前走7着の馬が来てしまったらどうするか。「前走8着(10着)以下は消し」に塗り替えるか、この消去データそのものを削除するか、何らかのこの馬独特の要素を見つけて、但し書きで補正するかでしょう。当然「前走1~3,7着の馬はOK」という縛り方は絶対にしない。これほど極端な例はないだろうが、出回っているデータの中には絞りたいがために、こういう合理性に欠けるデータが存在する。それは自分で排除していかなければならない。

 データを量産すると、矛盾したときどうするかが難しい。どちらのデータがより強力なのか、それは自分でデータを作り、操る中で会得するしかない。この意味では、データの内部は作成者の頭の中にある柔軟なものです。

 データの厳選について、私は規模の大きい中途半端なデータは使用しないよう心がけています。例えば、1番人気の単勝の的中率が約30%であるとか、サンデーサイレンス産駒の中山2500mでの連対率は○○%とか。あまり意味のないデータです。後者の例は、年間ずっと競馬をやる方にはあるいは使えることもあると思います。記憶にとどめておけば、的中につながることもありそうです。ただ、このデータのおかげでその結果だったのか、そこに直結する合理性を見出すことは難しいです。そういうデータは使わないに限ります。特に私にはGI21戦しかない。1戦1戦が大事。1番人気の複勝がもし70%だったとしても、それを理由に買って外して、「来ない確率は30%あるし」じゃ済まないんです。私の用いる軸データが、数は少なくても連対率100%といったものであるのは、こういう考えからです。

 あと、他のページでも書いていることですが、ある1頭を残すor消すためにデータを作ってはいけません。データは事前に作成し、全馬通して使えなければ、ひとつの軸・フィールドで予想していないことになります。全体的に見ることを注意しましょう。

 こんな感じでデータアートを作成しています。あとは的中がもっと欲しいですね。忘れていたこと、思いついたことがあったら追加します。より良い予想を心がけて行きたいと思いますので、今後とも注目ください。

 ひとつの予想術を研究すれば、ひとつのレースにいろいろな意味を見出せるようになります。そして、他の人には見えないものが見えてきます。それが、予想を追究する楽しみになります。皆さんの中で、自信の予想法、面白い予想法、考えられている方がいましたら、是非教えてください。他にはどんな世界があるのか興味津々です。

~予想の階段~

 予想の段階として、到達レベルに応じた以下の枠を考えてみました。ここで言う予想上手とは、結果よりも予想の構造(予想の提供と結果との整理)の上手さのことです。理論がしっかりしているからといって馬券という結果に結びつくのは別問題ですが、知る限り馬券上級者は皆予想上手。馬券上級者になるには、まず予想が上手にならなければならないと思います。

1.予想初心者…予想が印だけでコメントなし。
  または、書いていてもマスコミの受け売りで印の順序が明確ではない。
  予想と結果の整合性が取れていない。その原因について回顧していない。
  予想や回顧が所感になっている。

2.予想初級者…それなりの根拠を提起して予想することができる。
  結果に対して言い訳ができるが、そのファクターは混沌としている。
  予想と結果に違和感が感じられる(本人は惜しいと思っていることもある)。
  強い人気馬を自信を持って強いと言える。
  アナログキーワード:能力         

3.予想中級者…ある程度の軸をもって予想することができる。
  結果に対して客観的合理性のある言い訳ができる。
  本命にした馬が合理的理由がなく惨敗することはまずない。
  馬券収支においても年間回収率100%を維持できる。
  アナログキーワード:馬場、騎手

4.予想上級者…精緻な軸をもって予想を展開することができる。
  結果に対して客観的合理性を伴う理由を説明することができる。
  人気薄の能力馬を抜擢することができる。
  馬券収支が年間回収率140%を超えている。
  アナログキーワード:展開、状態

 あくまでも目安ですが、自分の過去の予想を振り返ったり他サイトの予想などを見て回ったところ、こんな感じだと思います。まずは常時予想中級者と言える予想ができるように精進します。

(2003年12月25日執筆、2004年7月23日加筆、2017年2月12日最終更新)