ファンの方には言わずもがなですが、競馬はとても魅力的な娯楽です。主役となるサラブレッドたちが、アスリートとしての美しさや動物としての愛らしさを見せてくれることはもちろん、馬に加えて馬主、生産者、調教師、騎手をはじめとした様々な人々が関わっており、数多のドラマが演じられることによる感動、レースにおけるスポーツとしての迫力、クラシック三冠や八冠への挑戦といった記録を介してつながる歴史への回想、脈々と続く血統のロマン、ギャンブルとしての興奮等を私たちに与えてくれます。
近代競馬はイギリスが発祥と言われ、その後全世界に広がり、現在では約90カ国の国々で施行されるまでに発展しました。競馬は元々、貴族が行っていたことから「The Sport of Kings」とも呼ばれ、英国では現在でも入場にドレスコードがあり、エリアによって男性はスーツやタキシード、女性はドレスとハットで着飾る、華やかな社交の場となっているようです。
日本競馬のレベルは、1981年にジャパンCが始まって最初の10年が2勝8敗、その頃に行われた海外遠征では惨敗ばかりでしたが、ホースマンたちの努力により、1990年代後半以降のジャパンCでは日本馬が上位を独占することが普通のこととなり、2001年からの10年は8勝2敗と完全に逆転、同時期の海外遠征からG1を勝利する馬が出現するようになりました。スポーツとして、世界に引けを取らない水準にまで向上してきているのです。
しかし、私は現在の競馬をとりまく環境に不満を持っています。この競馬という娯楽を、日本の社会はあまり歓迎してくれていないと感じることがあるのです。
競馬は一般的には、ほぼイコール“ギャンブル”と認知されています。競馬がギャンブルであり、ギャンブルであることが競馬の魅力であることはもちろん否定しませんが、日本の文化において“ギャンブル”という言葉には良い響きがなく、その枠に当てはめられることで、不当に悪いイメージを持たれてしまっているように感じます。
ギャンブルが悪いイメージを与えてしまう背景としては、多額の金額を賭けることによって、一瞬で財産を失う危険性があることや、必ず損をする上に時間をも無駄にしてしまうだけであり、やめられないのは意思が弱いからであるという誤解などがあるのではないかと想像します。不祥事件で横領したお金をギャンブルに使い込んだという報道を何度も聞かされれば、そもそもギャンブルは社会悪であるという考えを持つ人もいるかもしれません。
例えば、公の場で競馬が趣味と言うことに抵抗を感じることはないでしょうか。私の場合、できるだけ言うことに慣れようと思っているのですが、言うべきかどうかを考えてしまうことがほとんどですし、場合によっては言えないこともあります。このような環境に私は不満を持っており、最近はこの現状を少しでも変えられないかと活動を続けてきました。
活動の標語としては「競馬予想の芸術化」と言ってきましたが、段階的な言い方に直せば、①自分の予想に対する責任を持ち、予想の根拠と一定の予想理論を開示すること、②競馬が必ずしも負けてしまうギャンブルでないことを証明すること、などを行っています。
現在、競馬をめぐる情報・ビジネスの多くが、“お金が儲かるかどうか”という視点に立っています。ギャンブルなので仕方のないことですが、例えばスポーツ新聞各紙などにおける予想は、毎日違う馬を本命であるかのように推奨し、記者の中の誰かが当たれば当たったと宣伝し、全員当たらなくても反省すらない無責任な垂れ流しで、競馬予想や予想家、広くは競馬界までも軽薄にしてしまっていると思います。私が不的中においても反省を厭わずに行ってきたのは、この軽薄なイメージを変えたいと思っていることも理由のひとつです。
また、競馬が例え中長期的にであっても、必ず負けてしまうギャンブルでないことは、既に何度も書いてきたことです。競馬の結果は宝くじのような純粋な確率で決まるものではなく技術が介在することから、25%という苛酷な控除率でも技術次第でプラスにすることができることを証明してきました。
予想技術の存在が伝わらないことは、予想業界における課題であると考えます。理由としては、新聞やテレビ等のマスメディア自身及びそこに出演している予想家と呼ばれる方々が意図的に伝えていないかもしくは技術をそもそも持っていないことや、予想技術を持つ人間が顧客を囲いこんでいるため露出せず、保身のために技術を公開しないことが考えられるのではないでしょうか。
技術を公開しないことは、パリミチュエル方式の現在の仕組みを考えれば、自分以外の競馬ファンとの配当の取り合いに負けないための合理的行動と理解できますが、技術を明らかにしない予想が一般的になることによって、何ら予想技術を持っていない上、虚偽の高回収率や高的中率を主張して高額の会費を請求する悪徳業者が参入しやすくなってしまいます。彼らの参入は競馬のイメージアップ推進を妨げる上、既存の競馬ファンをも痛めつけ、退場させてしまうおそれがあります。買い目だけの予想は予想でないという文化を作っていく必要があり、そのためには一定の技術の開示が不可欠であると考えます。技術を持つ方は、自分と会員だけのことを考えず、競馬全体のことを考えて頂ければ幸いです。
競馬が最高に深遠な知的ゲームであることをもっと多くの方に伝えたい。競馬が番号の走るギャンブルという面だけではなく壮大かつ悠久な流れを持つ物語であることを伝えたい。競馬が、あらゆるスポーツや芸術、芸能に比べ本来的に何ら劣るところがないことを伝えたい。これらを通じて、社会的に競馬や競馬ファン、馬事文化がより前向きに捉えられれば、我々競馬ファンは今よりも自信を持って競馬を好きと言えるようになるでしょう。
どうすればそのような変化をもたらせるのかはまだ模索中であり、気が付いたところから行っているところですが、共感して頂ける方がいればご自身のできることで同じ山に登って頂く、あるいは応援を頂ければ嬉しく思います。
平成22年12月23日 スカイポット