最近、短期集中的に競馬本を読み漁り、少しですが競馬本の書評を書いてきて、ふと、疑問に思ったことがあります。

「人はなぜ競馬本を書くのか」

 その理由について、著者は「読者を喜ばせたい」「初心者に手を差し伸べたい」「一緒に勉強していきましょう」等と考えているように表現しているのですが、何となく本音じゃない気がするんです。

 冷静に考えれば、パリ・ミチュエル方式の競馬の世界で他人にうまい方法を知られるのは自分の優位を下げることにつながるため、馬券成績的に得策ではないはずです。

 競馬本はそれほど売れませんし、本を書く人は何百万と儲けている(あくまでも本人申告ベースですが(笑))のが普通ですから、馬券を買う感覚からすれば印税などはした金でしょう。

 もちろん、名が売れれば自分の予想等の情報を購入してくれる人が増える流れが作れるので、それを見込んで本を書く人もいないとは言えません。また、編集者が根気強く説得して執筆というパターンもあるかもしれませんが、大体のケースで著者は承認欲求を満たすために本を書いているように感じます。(本を出すこと自体に自己実現もあるでしょうね)

・自分が見つけた凄い理論を賞賛してほしい、自分のレベルを認めてほしい(承認欲求)
・自分のレベルで語れる人にメッセージを伝えたい(孤独の解消)
・自分の予想理論に引きずりこみたい(世界観の共有)

 これらは予想士個々人だけで閉じていた世界をつなげる方向の働きかけです。

 うまく承認欲求を制御できない方の書いた競馬本は自慢ばかりのように見えてしまいますね。

 本を出している人は競馬ファンのごく一部ですから、深くまで予想を研究している埋もれた競馬ファンは世の中にどれだけいるでしょうか。

 彼らの中でネットにつながっている人たちはHPやブログという媒体が生まれて、それを使って情報発信を始めるようになりました。

 僕のように。僕ももちろん、世界をつなげる方向で活動をしていますし、認められたいと思っています。

 これをお読みの貴方もそうかもしれません。

 今の時代では、情報発信者の中から、実績が認められたり、競馬雑誌の編集者に発掘されたりして、本を書ける人も増えてきましたね。

 さて、しかし、注目を浴び、自分が見つけた凄い理論が研究されるようになってきて、承認欲求が満たされるようになってくると、パリ・ミチュエルの壁が意識されてくるものです。自分はそう思っていなくても、田中さんのように周囲から助言されたりして悩むことでしょう。自分の予想や理論を隠すようになり、自分の会員だけに情報を提供し、世界を閉ざしてしまうようになります。

 ここでは、自分を信じてついてきてくれる会員のためを考えると、予想を無料公開するほうが悪いと考えられるフェイズでもあるんです。

 ファンがいれば承認欲求は満たされますし、ここまで来れば金銭的にもそこそこの安定収入があるでしょうから、そっちに舵を取るのも個人的に考えれば悪くない結論に思えるでしょう。

 こうしてできたのが、現状です。

 実力のある馬券師さんは有料コンテンツを持っていて、それを持っているがゆえに露出が少なくなっています。僕も若駒分析ナビを手伝うようになってからは、ワックスムーン氏との対談も自然消滅してしまいましたし、多くの人に予想を見てもらう機会を制限されています。

 ただ、この方向性では、より技術の高い予想は一般の方の目に触れなくなり、予想よりも結果が求められ、的中実績が主な宣伝広告になることから、悪徳業者が参入しやすい状態になります。

 競馬業界として考えると、本当にそれで良いのでしょうか。

 優れた予想理論を持ったたくさんの方々が、もっとオープンに情報を発信し、競い合う環境になったほうが良いと思うんですよね。

 木下健さんが著書で、子供が大きくなる頃にはまっとうな仕事に就いていたいと書いていたように、競馬予想家としての成功は社会的には認められる状態とは言えないところに課題があると思います。

 例えば将棋の棋士を考えますと(スポーツマンや画家、ミュージシャンでも構いません)、

 将棋という遊戯に嵌った少年が、奨励会に入って将棋を指しまくり、研究に没頭して、勝率を上げて勝ち進み4段となり晴れてプロ棋士になった。

 多くのプロ棋士は同じような感じでプロになっていると思います。プロ棋士には給料があり、厚生年金もあります。この時点で普通に職業として社会的に認められていますし、先日、名人戦で防衛を果たした羽生氏のように、活躍すれば賞賛を浴びる世界です。

 一方、

 競馬という遊戯に嵌った青年が、予想をしまくり、研究に没頭して、的中率や回収率を上げ、儲けられるようになった。

 というのが競馬のほう。競馬ファンには羨望のまなざしで見られるかもしれませんが、社会的にはただの競馬マニアです^^;

 でも、考えてみると社会的貢献で、この2名にどれだけの差があるのでしょうか。棋士は将棋を指すだけですよ。将棋は確かに日本古来の遊戯であり、文化維持のためにサポートするという理屈もわかりますが、競馬だって文化です。

 上記の例で違いを探すと、奨励会や日本将棋連盟のような組織が競馬予想界にもあれば良いのではないでしょうか。名人位のような称号もあれば、その名誉と競馬予想文化の向上のために予想を公開して競い合うような素地ができるのではないでしょうか。そんなことを考えます。

 折角、競馬予想という非常に複雑であり深遠な世界を極めつつある人たちが、世界を閉じて交流しなくなってしまうのは残念でなりません。

 予想士は個人の世界で閉じてしまわずに、業界全体の承認欲求を満たす方向に進むべきであり、また、そのための環境作りが必要だと、僕は思っています。

2009年07月02日