以下、競馬ナンデグリーンベルトに投稿した文章をこちらにも転載します。

===============
おくりばんとさんが提起された競馬予想家論について、当方も少し書いてみます。

私は一般的な競馬予想家のことを「予想情報発信者」と呼んでいます。現在、ネット等の個人が可能な情報発信手段において競馬予想等の情報発信を行っている方がたくさんいるところ、彼ら予想情報発信者は何を目指すべきかといった話かと思います。

おくりばんとさんは、予想情報発信者を「競馬予想家」と「予想屋」や「馬券師」に分類されています。

私は、「競馬予想家」(=予想情報発信者)は「予想屋」や「馬券師」を含む概念として話を進めたいと思います。なお、自分自身が儲けることを追求している方を「馬券師」、依頼を受けた特定少数の人を儲けさせるために活動している方を「予想屋」と呼ぶことは同様とします。

多くの予想情報発信者にとって、予想情報発信は趣味です。競馬(競馬予想や馬券購入)が趣味であれば、その記録を残すためであったり、読んでくれる人からの反応や注目されることが楽しかったり、競馬ナンデであればランキング等に参加して情報交換できることにメリットがあったりといったもので、趣味の一環にすぎないかもしれません。この領域の方は、できればそれに越したことはないものの、より多くのレースについて、より多くの人に、より面白い文章を届けることに気張る必要はないでしょう。

ですので、おくりばんとさんの文章は、それ以上の高い意識で予想情報発信を行っている方が考えるべき内容だと受け取っています。

高い意識というのは、より多くの競馬ファンに自分の予想に注目してもらいたい、予想でお金を貰えるようになりたいといった感覚です。予想に自信がある方であれば、将来、競馬予想で身を立てたいと考えたことがあるのではないでしょうか。身を立てるということは、収益を得ることと完全にイコールではないものの、予想をしっかり行いながら、自分が食べていく、家族を養えるといったことが両立できなければなりません。「馬券師」はそもそも情報発信をするメリットはありませんので、一般の予想情報発信者が予想で収入を得ることを目指すと「予想屋」になるのが手っ取り早い方法ということになります。

しかし、「予想屋」は、顧客のために予想を行うため、顧客以外に閲覧可能な形での予想に制限がかかりますし(顧客を増やすために、この活動自体は必要)、予想及びその過程(予想理論)の開示が自身の予想効率にマイナスに働くためこれを行わないことに合理性を見出してしまいがちです。私はこれを「パリミチュエルの壁」と呼び、予想文化の発展の妨げになっていることを指摘してきました。

ただ、「予想屋」はもちろん、「馬券師」も広い概念である競馬予想家から排除するべきではないとも思います。「予想屋」や「馬券師」は競馬予想の研究を熱心に行い、収益を得られるだけの熟練度にまで達したということですから、彼らの技術は競馬予想界において評価されるべきです。現状、身を立てる方法がこの形だっただけであり、彼らの全てが自分の利益のことしか考えられない人間であるかもわかりません。そのため、彼らがより広く予想情報を開示できるような環境(例えば将棋のタイトルや段位といったような別の角度からの評価や賞賛を受けられる等)を考えていく必要があると思うのです。そういったスキルが広く一般に認知されれば、予想の販売だけでなく、予想理論を教える習い事ビジネスも成り立ちやすくなるでしょう。

他の形で競馬予想家として身を立てるというと、業界関係者やメディア出演をしている「予想評論家」になる、というのも可能性としてゼロではないかもしれませんが、ここに食い込むには、業界に就職するか、業界関係者に知り合いがいて声をかけられるといった幸運にあずかるか、雑誌の攻略法コーナーに申し込む等、自らをアピールできる場に進出するかしなければ道は拓けないと思います(雑誌の攻略法コーナーだと、「予想屋」になれればよいほうかもしれませんね)。彼らはメディアへの出演料や原稿料、新聞社の給料で収入が得られるのでしょうから、予想の成績よりもいかに面白い予想をするかのほうが重要かもしれません。

それから、ネットインフラの充実によって多数の者への情報発信が浸透してきた現在においては、「予想屋」にならなくても、ユーチューブによる予想発信等、予想発信媒体における広告収入等によって収入を得る道も出てきました(独自の新聞配信等による直接予想を行わない情報配信料、システム利用料等によって身を立てる方法もあるでしょうが、予想家というテーマからずれるのでここでは除外します)。規模が大きくなれば、予想情報に制約をかけることをより少なくすることも可能となるでしょう。そういった方を輩出できるかが、今後は重要になると考えており、自ら切り拓こうという方には是非、パリミチュエルの壁を意識して乗り越えて頂きたいものです(そして、そのためには誘引が必要というのが持論です)。

あるいは、ある程度の規模で広告収入を得られる予想情報発信媒体(例えば競馬ナンデ?)において、予想家として雇って頂くというのもありえるのでしょうかね。

社会的存在というのは、無論そのように振舞うことが理想的だと思いますが、例えばスポーツ選手等が人間の可能性を輝かせて見る者を励ましたり、楽しませたりする存在であるのと比較して、競馬予想家は(将来的に同様の扱いを受けられるかもしれないが現状において)社会的にそういう見方をされているとは残念ながら思えません。競馬予想家に対する需要というのは、どうしても予想になり、それも高精度かつ着眼点に優れたものが求められるものです(自分が参考に見たいのもそういう予想です)。

私個人の話をすれば、意識は高く持ち、競馬予想の芸術化(社会的存在として競馬文化の発展)を目指していますが、おくりばんとさんの提案からすると、より多くのレースの予想をお送りできていないことが課題になります。私の予想に対する価値観は圧倒的に量より質であり、限られた時間の中で質の向上を優先しています。元々データ使いなので、有馬記念でもデータさえ作成・更新する余裕があればG1予想を再開できるのですが、納得のいく形のものを創るまでには至っていないのが現状です。

私の考えでは、競馬ナンデにおいて高い意識で予想を行っている方に対して、得意条件を絞るなどしてでも精度の向上に努めて頂きたいと思っています。そのほうが、競馬ナンデの機能に条件別のアーニングインデックス等から得意予想家をソートする機能を加える、得意予想家の予想をまとめて競馬ナンデとしての推奨予想を提示する、競馬ナンデとしての推奨予想の成績をとってみる等、色々な可能性に繋がると思うのですよね。友人と遊ぶゲームも対戦型より協力型のほうが最終的に楽しめるものです。将来、この条件ならこの人というような信頼できる予想家さんが見つかれば、その予想に乗って、自分では完結できないWIN5を的中させてみたいものです。
===============
(ワックスムーン氏のコメント)

予想家の存在意義というかニーズは、究極的には、予想を的中させる技術があるかどうか、なんだろうね。
年間回収率150%保障とか、そういう予想理論があるならば、競馬予想界では神と崇められると思う。それがどんな手法であれ。

的中にたどり着くための根拠、合理的理由が示せれば理想ながら、競馬の場合、常に合理的な結論が導かれるとは限らないのが、その楽しさでもあるので、よくあるサイン派や、出目なんかも、予想スタンスとして否定されるべきものではないんだとは思う。
間口の広さが競馬予想の魅力でもあると思うので。
たぶん、初心者には、サイン派とかのほうが面白いと思えると思うしね。

たくさん予想をしたところで、専門のサイトまで覗きにきて馬券を買おうなんて人は、すでに競馬に相応の興味を持った人だと思うので、多数予想そのものを否定はしないものの、いわゆる裾野を広げるという役割はあんまり果たせないだろうね。
より多くの人が馬券を買うであろうGⅠレースを予想することは、その予想家の地位を高めやすいとはいえるだろうけど。
やっぱ、裾野の拡大は、地上派等のライトなメディアに出演するアイドル予想(こじはる等)がやるべき事なんだろうな。
そういう広告塔がいないと、成り立たないんじゃないかと。あくまで現状では。
競馬をしない人でも知っている競馬予想家なんて、一人もいないと思うよ。

社会的地位。
これは非常に難しいね。競馬予想界、その道での名誉というのは、得られないこともないんだろうけど、社会的地位を高めるのは簡単じゃないからね。
競馬を投資のひとつと考えるのであれば、バフェットみたいに財を築いて、それを寄付するようなことをしない限り、賞賛はされないだろうね。そうすれば賢人として称えられるかも。
310億ドルだよ、寄付金額。総資産の85%を慈善団体に寄付だもんw

やっぱ、今のところ私腹をこやすための手段としかとらえられていないと思う。一般論として競馬に限らずギャンブルは。パチンコとかと同じかもね。パチンコだってプロはかなり研究してるんだろうし。
一家を養っている人はいるにせよ、巨万の富を築いた人はいないんだろうな。
いつだったか、香港かどこかの投資集団が捕まったよね。そういう奴ばっかりだよ。
いたとしても、それを社会に還元しようという志がある人は今のところいないんだろうね。

だって、常に捕まるんだもん。会社の金等を使い込みした奴が。競馬に使ったってw
あとは、香港の例みたいな脱税ねw
これを覆すような奴が多数出てこない限り、残念ながらイメージアップは果たせないだろうな。

競馬に興味を持った層が、より深く競馬に予想にのめり込むように、深淵なる予想の世界があることを提示できるように、腕を磨くしかないのかもしれないね。

結果として、そういう地道な活動が社会的地位の向上に繋がる可能性があるかもしれないけど、社会的地位を最初から向上させようとしても、簡単ではないね。
社会的地位が高い人は、最初からそれを目的としていた訳ではないと思うしね。

そういう高いレベルで、技術で戦っている人がいることを知らしめるものとして、予想家協会みたいなものの存在意義はあるんだろうけど、高いレベルの人でも、自分の儲け、予想収入を得ようって人は、表には出てこないからね。ジレンマだね。
社会的地位は、凄い財に余裕がある人の一部が得られるものなのかも。こと、お金儲け系に関しては特に。

なにやらWINSとかでさ、外国人がプリンターを駆使してマークカードを多数塗って、凄い金額の馬券を買い捲る絵がよく見られるらしいけど、脱税逃れで現地で買ってるらしいね。
究極的には3連単でどれが来ても儲かるように資金配分して買うことは可能なんだろうね。
そこまで極端ではないにせよ、そういう買い方をしている資金豊富な層が、3連単のオッズをまずくしてんだろうな。二桁人気馬のワンツーでも100万いかないとかね。そういうのが出てくるんだよね。

(現状のまとめ)byスカイポット

社会的地位向上は競馬予想芸術化を構成するひとつの車輪ですが、マスメディアに露出可能な予想家が志を持って行わなければ進まない印象ですよね。

とりあえず、今できることはネット社会となり一般人でも露出がしやすい環境になってきたので、その機会を活用できるよう心がけていくことですね。そして、そのためにはもうひとつの車輪である予想精度の向上が必要で、常に鍛えておかなければなりません。

なかなか、難儀なことですね。私自身だけでは力不足ですので、競馬予想家協会に参加してくれるような有志の方々と連携していければと思っています。

2016年06月05日