先日、棋士の羽生善治氏の『決断力』(角川oneテーマ21)を読みました。
将棋の指し手を決める感覚は、競馬の予想に近いのではないかと思ったのですが、やはり含蓄のある良い話がたくさんありました。

 印象に残った文章をいくつかご紹介しましょう。

「一般に経験は人を強くするという固定観念があるが、いろいろ考えてしまい、一番いい方法にたどり着くのに時間がかかったりしてしまう。また、判断に迷う材料も増えて、おじけづいたり、迷ったり、躊躇してしまったり……ネガティブな選択をしているときもあるのだ」

 失敗は経験して学ぶだけでは生かしきれないということですね。ただ理論を煩雑なものにしてしまうこともあります。リスク概念が乏しかった以前はスパっと正解に辿り着いたところで足踏みをする、というのは最近よく感じている予想過程です。不調を自覚しての迷いも多いです(苦笑)

「年齢が上がったら、勘とかハートをベースにした戦いになるし、若いときは逆にそういう指し方ができないから〜片っ端から読みで勝負する。〜全体を判断する目とは、大局観である。一つの場面で、今はどういう状況で、これから先どうすればいいのか、そういう状況判断ができる力だ。本質を見抜く力と言ってもいい。〜将棋に限らず、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は、この大局観と感性のバランスだ」

 最終的には競馬予想も直感的な部分が大きくなるのかな、という印象は持っています。ただ、それで直感を重視するにはまだ若いかなと。今は「読み」でどこまで行けるかを目指したいと思っています。行ききらなければ将来に到底そんな領域には届かないでしょうから。

「将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。〜経験からも、一年なり二年なり、ずっと毎日将棋のことだけを考えていると、だんだん頭がおかしくなってくるのがわかる。入り口は見えるけれど、一応、入らないでおこうと思っている。空白の時間をつくることは、心や頭をリセットすることだ」

 突き詰めて予想を考えていると、どんどん独りの世界に入ってしまうのですよね。そういうのは自分に向いていると思うのですが、普通の会話ができるか不安になってくるのが怖い(苦笑)僕も入り口は見えるけど、入れないですね。

「報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」

 私が評価するクリエイターの方は皆さんこう仰っています。そして、自分もこうありたいと思っています。才能を開花させるには、「閃きは1%で足りる」というよりも、閃きを1%に押し込むほどの多大な努力が必要なのでしょう。

「棋士は指し手に自分を表現する。音楽家が音を通じ、画家が線や色彩によって自己を表現するのと同じだ。小説家が文章を書くのにも似ている」

 競馬予想も同じだと思っています。

2007.12.22