「データ信奉時代の終焉」

 前回までお話したように、私の予想の出発点はデータ予想からでした。データを完成させればほとんどのレースは当てられると思うほど、データ予想を極めようとしていた時期もありました。ただ、どれだけ頑張っても安定した的中率を得られず、限界を感じるようになってきます。転機となったのは2003年の宝塚記念です。

 私の予想は、シンボリクリスエスとタップダンスシチーのワイド1点に、バランスオブゲームを含む3連複流しでした。レースは外めを先行したタップダンスシチーに、内からシンボリクリスエスが抜け出して競りかけ、一時は2頭の一騎打ちになりながら、ゴール前で外目を追い込んできたヒシミラクルとツルマルボーイの強襲に遭います。

 予想ページの一番下の反省に、外差し馬場と展開が敗因だと綴っています。この日は人気薄の馬の外差しがよく決まっていたんですね。当時既にトラックバイアスの存在を知り始め、条件や展開が結果に与える影響についても理解はしており、アナログを副要素とする予想を行ってはいましたが、本丸のデータのほうが逆に予想の邪魔をしてしまったと感じるほどの衝撃を受けました。

 この年の秋、シンボリクリスエスは天皇賞秋と有馬記念を勝利し、タップダンスシチーはジャパンカップを勝利し、穴で推したバランスオブゲームも苦手の東京で毎日王冠を制するなど、予想時に押した3頭はG1や別定G2で結果を残しました。翌年の宝塚記念をタップダンスシチーは早め仕掛けの強い競馬でゼンノロブロイらに勝ちきっており、単純能力という面では選んだ馬は間違いではなかったと思います。

 この結果から、いかに能力や馬柱データで買い材料が揃っている馬でも、馬場差と展開によってパフォーマンスを著しく下げてしまうことがあるわけで、データ(メイン)で予想する限界を確信できました。

 アナログを予想のメインに持ってくる大変革を行った後の2005年宝塚記念に、この時の阪神競馬場は、2003年ほどではないにせよ外差し有利の傾向が出ていたので、スイープトウショウ(11番人気!)とハーツクライをピックアップでき、17万馬券となる3連単を的中し、リベンジを達成することができました。

 「馬場差」と「展開」のことを今の僕は「条件・展開」という言葉で呼んで、馬の「能力」、「リスク・状態」と並べて予想要素の3大柱のひとつとしています。馬場差や展開がレース結果に与える影響の大きさを理解しているかどうかが、競馬初級者と中級者を分けると言えるくらい重要です。

 展望などで馬場について「デフォルト」とか「フラット」とか書いているのが「馬場差」についてのコメントです。これにそれぞれ距離によっても異なるコースの特徴等をまとめて考えるのが「条件」です。馬が走る前の舞台設定ですね。

 また、「展開」は、レースをやってみないとわからない部分も大きいですが、枠順や騎手を考慮して、不利やロスを受けやすいかどうか等を考えます。2008年の朝日杯で用いたBPR(ベストパフォーマンスレース)理論など面白い切り口を発見しましたが、まだしっかりした見方ができていないので、この柱は未開度が高いです。今の話はまた後ほどしますね。

 2003年の宝塚記念で条件や展開の重要さを知った頃、正統派予想をしている方のHP等を見てアナログの見方と予想で読ませることに磨きをかけました。また、予想軸の改革を行うためにグリーンチャンネルにも入り、時計の重要さやレースレベルという概念を覚えていきます。

 そしてPCが故障した2004年秋、データ予想中心の「データアート美術館」を閉じて現在の「データアート展望台」にHPをリニューアルしました。当初はデータとアナログを調和させていく予定だったんですが、データはG1しかないので徐々にアナログに比重が偏っていきます。特に、現在も予想の中心となっている「天星指数」を得てからは顕著な形でデータからアナログへ、予想スタイルが大転回した時代に入ります。

2009.01.09